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情報化時代の常用漢字 国語審議会が見直し案 [雑感]

 やや旧聞に属するが、5月19日、文化審議会国語分科会が常用漢字表を見直し、196字を追加し5字を削除する答申案を決定した。6月の文化審議会を経て文部科学相に答申、内閣が年内にも告示する予定で、これにより常用漢字は191字増の2,136字になる。文部科学大臣が「情報化時代の漢字使用の目安を」と諮問したのは2005年3月というから、迅速を旨とする情報化時代にあって、同審議会は時代遅れの感が否めない。  常用漢字表は、漢字使用を制限することを目的に1946年に導入された当用漢字表に代わり、1981年に法令や新聞、雑誌、放送など一般社会の漢字使用の目安として作成されたもの。最近でこそ新聞は使用する漢字に独自規定を設けているし、コンピュータのおかげでルビが振れるようになった。自由度は格段に高まったが、20年ほど前までは常用漢字が前提だった。新聞が漢字教育の手段として位置づけられていたためだ。
万葉仮名で「加名川県」
 新聞記者だからといって常用漢字を丸暗記しているわけではなく、コンピュータが適用外の漢字をはじき出してくれる。ワープロで記事を書くようになったとき、国産メーカーが「記者用ワープロ」を作ってくれたが、思うようには売れなかった。記者は縛られたり制限されるのを嫌う。とはいえ神奈川県を本気で「加名川県」と万葉仮名ふうに書いた新人記者がいて、それで筆者は新卒採用のとき、「都道府県名と県庁所在地を漢字で書け」という設問を入れた記憶がある。  読み・書き・算盤の時代は去り、漢字は読めればいい、キーボードを叩けば漢字が表示される、読めなくても文字一覧から探し出せる。UGUISUと打てば「鶯」、YUUUTUと打てば「憂鬱」。画数が最も多い二字熟語はAITAIだが、さすがに「靉靆」は表示されないようなので、しばらく薀蓄のネタとして使えそうだ。ちなみに「靉靆」は〈たなびく雲のさま〉という意味だと、旧仮名遣いの大字林で読んだことがある。  物理学者の田中館愛橘博士(1856~1952)が「ローマ字を日本の標準に」と提唱したのは明治18年(1885)のこと。文化審議会答申案発表の翌日は奇しくも「ローマ字の日」だった。なるほどアルファベットの分かち書きで日本語が表記されていたら、何千、何万もの漢字を覚える間に方程式の一つも解けたかもしれない。反面、漢字があればこそ繊細微妙な表現が生まれ芸術性が高まったともいえるのだが、キーボードから叩き出される漢字は果たして表現足りうるのか―と、原稿用紙と万年筆に憧れた戦後世代は考えてしまう。
言葉の乱れに追いつかない
 「言葉は生き物なので、時代とともに変わっていって当り前」というのが国語学者・大野晋博士の持論だった。漢字、平仮名、片仮名、アルファベット、記号を自在に取り込んだうえ、縦にも横にも表記できる日本語は、なるほど自由度が高いだけに、変化にも柔軟な特長がある。IT業界の記者ながら、横溢するカタカナ用語、アルファベット略に辟易していたものだから、論評でメインフレームとダム端末のオンラインを「親方日の丸」、マイクロ・メインフレーム・リンク(MML)を「護送船団」、クライアント・サーバーを「親亀・子亀・孫亀」、ITベンダーを「情報技術納入業者」と表記して失笑を買ったことを思い出す。  最近、頻繁に耳にする「全然~だよ」はわれわれ世代には違和感がある。われわれは「全然~ない」と教わったが、戦前は肯定的な意味でも使われていたらしい。なるほど文字面からいえばその通りで、肯定・否定のいずれの場合でも強調する意味には違いない。そうはいっても、建物が佇んだり(佇むのは人)、指を拱いたり(拱く=組むのは腕)、由緒が正しかったり(由緒がある)というのは、然るべくしての変化でなく、乱れではないか。漢字をどう使おうが、情報化時代に5年もの時間をかけていては、現実がはるかに先行してしまう。改定案が実施されるころには、言葉の乱れの方が大きな問題になっているのではあるまいか。
重要なのはコードの統一
 もう一つ、せっかく「情報化時代を視野に入れた漢字使用の目安」というのなら、個々の漢字を審議するなぞは木を見て山を見ぬのと同然、という議論がなければならなかった。コンピュータで漢字を処理するには、一文字ごとにコードが割り当てられなければならない。一般的な漢字はともかく、外字のコードが不統一なものだから、変換テーブルが山のように作られ、改定のたびにユーザーはたいへんな苦労をする。  地名・人名は市町村の住民管理に欠かせないが、コードが統一されていないので、データに互換性がない。点が一つ多い、縦棒が跳ねる・跳ねないというだけのために、わざわざ作ったイメージをそこに当てる。データ上はブランクなので、他のシステムにかけると空白が出てきてしまう。行政手続きの上では個人を特定できれば目的が達せられるのだから、渡邊も渡邉も「渡辺」でいい。齋藤、斎藤は「斉藤」でいいじゃないか、という議論が、なぜか出てこない。  加えて土地は国土交通省、法令は法務省、社会保障は厚生労働省、パスポートは外務省、教育機関は文部科学省、コンピュータは経済産業省と、縦割り。以上のことは国語分科会の仕事ではないかもしれないが、かかわりがない話ではない。少なくとも文部科学省には日本語、漢字にまつわる大局的な、中長期的な視点が必要であろう。5年もかけるなら、そちらの議論を深めてほしかった。

タグ:漢字
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